スコゲワブロガーのペパーミントあいです。
貴ノ岩の付け人暴行事件を受けて、
あちこちで「付け人制度をやめるべきだ」
という声が上がっています。
私にはこれが、
テイルズオブアスタリアのストーリーと
リンクしているように感じました。
どうリンクしているように感じたのか、
相撲ファンにもテイルズファンにも
分かるようにお話ししたいと思います。
貴ノ岩の付け人暴行事件
去年(2017年)の今頃は
日馬富士の暴行事件の被害者だった貴ノ岩が
付け人に暴行する事件が起きました。
つい先だって、
2018年12月のことです。
大相撲界では今年の3月、
春場所中に貴ノ岩と同部屋の貴公俊が
付け人に暴行する事件が起きています。
相次ぐ角界(相撲界)の暴行事件に、
ワイドショーなどではあちこちから
「付け人制度そのものをなくすべき」
ひいては
「部屋制度を見直すべき」
という声まで上がっています。
その一方で相撲ファンからは、
「付け人と関取がいい関係を築いている
ところだってあるのに、どうして?」
という意見も。
私もどちらかというと後者に同意です。
付け人と関取がいい関係を築いている例も、
付け人が関取に向かって「バカ」とか
「アホ」とか言えるくらい仲のいい例も
たくさん知っているからです。
アスタリアのストーリー
私にはこの現象が、
愛用のゲーム・テイルズオブアスタリアの
ストーリーとリンクしているように
感じました。
アスタリアがどんなゲームなのかとか、
テイルズシリーズとは、という説明は、
今回の話ではどうでもいいので省きます。
ただどことなく似通っていると感じたのは、
ストーリー展開です。
今のアスタリアのストーリーって、
戦争をなくすために
人と世界を神のごとき力で強制的に
作り変えようとする敵方と、
たとえ時間はかかっても人が変わって、
人と人とが分かりあえる世界を作りたい
主人公サイドの戦いなんですよね。
暴力が起こるのは制度のせいだから
制度を変えるべきだ、
と言っている人たちと、
「結局は運用する人次第なんじゃないの?」
という相撲ファンの構図と
似ているように感じるのです。
結局は「人」次第なのでは?
私も相撲ファンだから
相撲ファンサイドの意見に同意。
アスタリアでも主人公サイドの
考えに共感します。
付け人制度にしても部屋制度にしても、
制度自体にはいいところ、欠点、
どちらもあります。
でも一番大事なのは、
それを運用する「人」だと思います。
付け人を殴るというのは、
そもそも付け人という存在そのものを
勘違いしています。
付け人に限らず、
上に立つ者は下の者に仕えてもらうかわりに
下の者を責任をもって守らなければ
いけません。
民主政治にしても専制君主政治にしても、
この構造が健全に働いていれば
何ら問題はないはずなんです。
たとえ部屋制度をなくそうが
付け人制度をなくそうが、
相撲界の指導する立場の人が
暴力による指導がなぜ悪いのか
理解できなければ、
暴力はなくなりません。
たとえ時間はかかろうとも、
この意識改革を地道に続けていくしか
ないと思います。
こう思ったの、きっと私だけ
以上、相撲とアスタリアのストーリーが
リンクしているように感じる理由を
書かせていただきました。
いかがでしたでしょうか?
こんなこと思ったの、
相撲ファンでもテイルズファンでも
きっと私だけだろうと思います(笑)
でも私のブログなんで、
私しか思わないことを書いても
いいんじゃないかと思って
書かせていただきました^^
もし万が一、
同じことを思っていた相撲ファン
もしくはテイルズファンの方がいたら、
ぜひ連絡下さい(笑)
でもどれか一要素だけでも
共感していただけれいてば、
嬉しく思います^^
ペパーミントあいがお届けいたしました。