相撲ファンのペパーミントあいです。
過去に幕内優勝者のいない
都道府県の記録をまとめました。
相撲観戦を楽しむ一助となれば
嬉しく思います。
幕内優勝者のいない都道府県
過去幕内優勝者のいない都道府県は、
以下の通りです。
宮城
静岡
岐阜
福井
滋賀
京都
和歌山
島根
徳島
宮崎
沖縄
最近まで幕内優勝者のいなかった都道府県
埼玉県=初の優勝者は大栄翔
埼玉県は2021(令和3)年初場所に
大栄翔が優勝するまで、
幕内優勝者がいませんでした。
埼玉県には相撲強豪校の
埼玉栄高校があります。
出身力士も多い県で、
割と相撲どころなイメージがあるのですが、
幕内優勝者がいなかったことは意外です。
大栄翔の初優勝は、
埼玉出身力士初の優勝であり、
追手風部屋から初の優勝でもありました。
埼玉は私のご当地でもあるので、
ご当地から初の優勝力士が出たことを
非常に嬉しく思います^^
熊本県=初の優勝者は正代
熊本県は2020(令和2)年秋場所に
正代が優勝するまで、
幕内優勝者がいませんでした。
熊本県は
第8代横綱 不知火諾右衛門と
第11代横綱 不知火光右衛門の
出身地です。
いずれも優勝制度が出来る前の
江戸時代の横綱です。
熊本県出身力士の優勝は、
過去に栃光と福の花が
何度かチャンスがあったようですが、
優勝には届きませんでした。
長野県=初の優勝者は御嶽海
長野県は2018(平成30)年名古屋場所に
御嶽海が優勝するまで、
幕内優勝者がいませんでした。
長野県は史上最強とも言われる大関・
雷電為衛門の出身地です。
雷電も優勝制度が出来る前の
江戸時代の大関のため、
優勝経験はありません。
優勝制度がない時代の横綱
江戸時代の横綱制度
ここで少し、
優勝と横綱に関するトリビアを。
現在の横綱は、
「大関で優勝または
優勝に準ずる成績を連続で収めること」
で推挙の対象となり、
昇進する仕組みとなっていますが、
江戸時代には優勝制度も
横綱という番付もありませんでした。
当時の番付最高位は大関です。
昔は大関の中でも特に強かった人に
しめ縄で作った綱(=横綱)を締めて
土俵入りをする権利が与えられました。
昔は陥落した横綱もいた
現在の横綱は
一度なれば陥落することはありません。
でも昔は横綱という番付はなく、
番付上は大関だったため、
番付の陥落もあり得ました。
熊本県出身の不知火諾右衛門は、
横綱で唯一、
番付が大関から関脇に降下した横綱です。
初めて番付表に載った横綱は西ノ海
横綱が番付として初めて載ったのは
1890(明治23)年の第16代横綱・
初代西ノ海嘉治郎です。
(西ノ海嘉治郎という横綱は
3代目までいます)
初代西ノ海は当時の吉田司家から
横綱免許を与えられましたが、
新横綱の場所の成績が振るわず、
次の場所の番付が「張出大関」相当と
なってしまいました。
横綱免許を受けているのに
張出大関という下の地位になることに
西ノ海が納得しなかったため、
番付表に「横綱」と表記された、
という経緯があるようです。
以上、
ペパーミントあいがお届けいたしました。