関脇以下で2回優勝した力士

関脇以下で2回優勝した力士アイキャッチ 大相撲の記録

NHK大相撲の細かすぎる記録が
大好きなペパーミントあいです。

戦後、関脇以下で2回以上優勝した力士は
朝汐佐田の山魁傑貴花田琴錦
御嶽海照ノ富士の7人のみ。

関脇以下で3回優勝した力士は照ノ富士のみ
となります。

各力士が優勝した場所の
横綱・大関の成績もあわせて
ご紹介しています。

当時の雰囲気とあわせて
お楽しみいただければ嬉しく思います^^

※本記事は関脇以下で2度優勝する力士が
登場次第、随時追記していきます。

(番付の権威を考えたら、
あまり出ない方が望ましいのですが(;^_^A)

関脇以下で2回優勝した力士

関脇以下で2回優勝した力士(戦後)
朝汐 昭和31年春場所 東関脇・12勝3敗
昭和32年春場所 西関脇・13勝2敗
佐田の山 昭和36年夏場所 前頭13枚目・12勝3敗
昭和37年春場所 東張出関脇・13勝2敗
魁傑 昭和49年九州場所 西張出小結・12勝3敗
昭和51年秋場所 西前頭4枚目・14勝1敗
貴花田 平成4年初場所 東前頭2枚目・14勝1敗
平成4年秋場所 西小結・14勝1敗
琴錦 平成3年秋場所 東前頭5枚目・13勝2敗
平成10年九州場所 西前頭12枚目・14勝1敗
御嶽海 平成30年名古屋場所 西関脇・13勝2敗
令和元年秋場所 東関脇・12勝3敗
照ノ富士 平成27年夏場所 東関脇・12勝3敗
令和2年七月場所 東前頭17枚目・13勝2敗
令和3年春場所 東関脇・12勝3敗

朝汐はのちの46代横綱朝汐です。

関脇以下の力士が優勝した状況

朝汐(1回目)

朝汐は昭和31年春場所、
東関脇で12勝3敗で優勝しました。

鏡里、吉葉山、栃錦、千代の山の4横綱、
若ノ花、大内山、松登の3大関がいた
時代でした。

※若ノ花はのちの横綱若乃花(初代)です。

当時の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

昭和31年春場所の横綱の成績
鏡里 8勝7敗
吉葉山 11勝4敗
栃錦 9勝6敗
千代の山 8勝7敗
昭和31年春場所の大関の成績
若ノ花 12勝3敗
大内山 10勝5敗
松登 9勝6敗

若ノ花と東前頭15枚目の若羽黒が
優勝と同率の12勝3敗でした。

朝汐が巴戦での優勝決定戦を
制したようです。

朝汐はこの場所、
本割では吉葉山に敗れ、
若ノ花、栃錦、鏡里、大内山には
勝っています。

当時の横綱大関は全員28~35歳と
全体にご高齢。

きっと世代交代の時期だったんでしょうね。

朝汐(2回目)

昭和32年春場所、
朝汐は西関脇で13勝2敗で優勝。

当時の横綱・大関には、
千代の山、栃錦、吉葉山、鏡里の4横綱、
若ノ花、松登の2大関がいました。

大内山が関脇に陥落している以外、
勢力図は変わっていません。

この場所の横綱・大関の成績は、
以下の通りです。

昭和32年春場所の横綱の成績
千代の山 10勝5敗
栃錦 11勝4敗
吉葉山 3勝3敗3休
鏡里 11勝4敗
昭和32年春場所の大関の成績
若ノ花 10勝5敗
松登 9勝6敗

平幕の琴ヶ濱と北ノ洋が
12勝3敗で優勝次点となっています。

朝汐はこの場所、
鏡里、若ノ花、栃錦、千代の山に
勝って優勝しています。

当時の横綱大関もきっと、
今と同じように

「今の横綱、大関はだらしないなぁ。
昔の横綱、大関は強かったぞ!」

とか、言われていたのでしょうか(苦笑)

佐田の山(1回目)

佐田の山は昭和36年夏場所、
前頭13枚目で12勝3敗での優勝しました。

両横綱に朝潮と初代若乃花、
柏戸、大鵬、琴ヶ濱、若羽黒の4大関が
君臨する時代でした。

この場所の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

昭和36年夏場所の横綱の成績
朝潮 0勝4敗11休
若乃花 10勝5敗
昭和36年夏場所の大関の成績
柏戸 10勝5敗
大鵬 11勝4敗
琴ヶ濱 5勝10敗
若羽黒 8勝7敗

佐田の山はこの場所、
横綱大関との対戦はありません。

大鵬と関脇の北葉山と平幕の羽黒花が
11勝4敗で優勝次点となっています。

何だかんだで大鵬は凄いんだなと
思いました(笑)

にしても、琴ヶ濱の5勝10敗がwww

昭和36年夏場所は、
佐田の山と同時代に横綱として
活躍した栃ノ海が三賞を受賞しています。

佐田の山(2回目)

佐田の山が二度目の関脇以下での
優勝をしたのは、昭和37年春場所。

東張出関脇で13勝2敗での優勝です。

当時の勢力図は、
大鵬、初代若乃花、柏戸の3横綱、
琴ヶ濱、北葉山の2大関時代。

以下が当時の横綱・大関の成績です。

昭和37年春場所の横綱の成績
大鵬 13勝2敗
若乃花 0勝2敗13休
柏戸 11勝4敗
昭和37年春場所の大関の成績
琴ヶ濱 4勝7敗4休
北葉山 9勝6敗

この場所佐田の山は
北葉山、柏戸、琴ヶ濱を倒しています。

さらに優勝決定戦で
大鵬を倒しているんですね!

昭和37年春場所は
北の富士さんの大スター(笑)・
北の洋が引退した場所でもありました。

どうでもいいけど、
佐田の山が優勝したときの
琴ヶ濱の成績が毎回酷い
ですねww

この翌場所、佐田の山は大関に昇進。
若乃花は引退。

ちょうど時代が入れ替わる時
だったんですね。

魁傑(1回目)

魁傑が初めて関脇以下で
優勝したのは昭和49年九州場所。
大関昇進前のことです。

西張出小結で12勝3敗での優勝でした。

当時の勢力図は、
両横綱に輪島と北の湖、
両大関に貴ノ花(父)と大麒麟がいた
時代です。

以下がこの場所の横綱・大関の成績です。

昭和49年九州場所の横綱の成績
輪島 9勝6敗
北の湖 12勝3敗
昭和49年九州場所の大関の成績
貴ノ花 11勝4敗
大麒麟 1勝3敗(引退)

この場所魁傑は、
大麒麟、北の湖、貴ノ花に勝って
優勝しています。

輪島とは対戦は組まれていません。

魁傑はこの翌々場所に大関に昇進します。

魁傑(2回目)

魁傑は昭和51年秋場所、
西前頭4枚目で14勝1敗で優勝。

大関陥落後の平幕優勝でした!

大関陥落後の平幕優勝を成し遂げたのは、
歴代で魁傑と照ノ富士の2人だけ
です。

当時の勢力図は
両横綱に輪島と北の湖、
貴ノ花、旭國、三重ノ海の3大関。

この場所の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

昭和51年秋場所の横綱の成績
輪島 12勝3敗(優勝次点)
北の湖 10勝5敗
昭和51年秋場所の大関の成績
貴ノ花 10勝5敗
旭國 10勝5敗
三重ノ海 9勝6敗

次点が輪島の12勝3敗と、
少し差がついています。

この場所魁傑は
貴ノ花、三重ノ海、旭國に勝って
優勝しました。

この3場所後に魁傑は再び大関に昇進。

大関から陥落した翌場所に
10勝以上しての復帰ではなかったため、
新大関の時同様、伝達式が行われました。

伝達式では一度大関の名を
汚してしまったため、
「大関の名を汚さぬよう」は避け、

「謹んでお受けいたします」
とだけ答えたそうです。

陥落した場所で10勝して復帰する
制度によらない復帰
をしたのも
魁傑ただ一人です。

ちなみにこの魁傑さん、引退後は
野球賭博や八百長騒動などで大変だった
時期に理事長として頑張った方。
(=放駒理事長)

その心労のせいか、
66歳と若くして亡くなっています。

貴花田(1回目)

平成4年初場所は
当時19歳の貴花田が
前頭2枚目で14勝1敗。

史上最年少19歳で
初優勝した場所でした!

どうでもいいけど、
ちょうど私が相撲を観始める
直前の出来事です。

私はこの出来事でヒートアップした
若貴ブームに乗っかって観たと言っても
過言ではありません(笑)

当時の勢力図は、
両横綱に北勝海と旭富士、
両大関に小錦と霧島がいました。

この場所の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

平成4年初場所の横綱の成績
北勝海 全休
旭富士 0勝4敗(引退)
平成4年初場所の大関の成績
小錦 12勝3敗
霧島 8勝7敗

貴花田は小錦、霧島の両大関を
破っての優勝でした。

なお、唯一土をつけたのは
当時小結の曙。

時代の入れ替わり、
曙貴時代の幕開けを感じさせる
貴花田の初優勝ですね^^

その後の貴乃花親方には……だけど、
当時の番付表を見ると
当時のワクワクが蘇ってきますvv

この時貴花田に賜杯を渡したのは
伯父で初代若乃花の二子山理事長でした。

貴花田(2回目)

初優勝の翌場所は5勝10敗と
大負けした貴花田でしたが、
同じ年の秋場所は西小結で14勝1敗。

二度目の優勝をはたしました。

当時は横綱不在、
霧島、小錦、曙の3大関という
勢力図でした。

この場所の大関の成績は以下の通りです。

平成4年秋場所の大関の成績
霧島 7勝8敗
小錦 9勝6敗
9勝6敗

優勝次点は平幕の琴錦と大翔鳳で11勝4敗。
ぶっちぎりでの優勝でした^0^

この場所の貴花田は
小錦、曙の2大関を破り、
唯一土をつけたのは大関の霧島です。

琴錦(1回目)

琴錦(現在の朝日山親方)が
初めて平幕優勝したのは、
貴花田から少し時代が戻って
平成3年秋場所。

東前頭5枚目で13勝2敗での優勝でした。

当時の勢力図は
両横綱に北勝海と旭富士、
両大関に小錦と霧島がいました。

この場所の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

平成3年秋場所の横綱の成績
北勝海 全休
旭富士 2勝4敗9休
平成3年秋場所の大関の成績
小錦 11勝4敗
霧島 12勝3敗(優勝次点)

琴錦はこの場所、
小錦、霧島の両大関を破っています。

事実上横綱不在の場所とは言え、
大関2人の成績は決して悪くありません。

強い大関2人を破っての優勝は凄いです!

どうでもいいけど、
平成3年秋場所は
舞の海さんが新入幕で
技能賞を受賞した場所
でもありました。

※一応、太字にマーカーをしておいてあげよう(笑)

琴錦(2回目)

琴錦は初優勝から7年後の
平成10年九州場所、
二度目の平幕優勝をはたします。

成績は西前頭12枚目で14勝1敗。

当時の勢力図は
貴乃花、若乃花、曙の3横綱、
武蔵丸、貴ノ浪の2大関です。

貴乃花がめちゃめちゃ強かった
時代ですね。

この場所の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

平成10年九州場所の横綱の成績
貴乃花 12勝3敗
若乃花(3代目) 9勝6敗
全休
平成10年九州場所の大関の成績
武蔵丸 11勝4敗
貴ノ浪 8勝7敗

なお関脇には千代大海(現九重親方)、
小結には武双山(現藤島親方)が
いました。

うーん、黄金時代だ♪
(私にとって)

琴錦はこの場所、初日から11連勝!

そのため終盤は横綱大関との
対戦が組まれています。

若乃花には敗れましたが、
貴乃花と貴ノ浪には勝っています。

琴錦30歳での平幕優勝でした^0^

でも翌場所は、
一気に小結まで上がったものの、
6勝9敗と負け越しています。

ちなみに琴錦の
初優勝と二度目の優勝の間隔は43場所で
歴代1位の記録
となります。

※優勝と優勝の間隔の記録詳細は、
照ノ富士(2回目)にて後述いたします。

御嶽海(1回目)

御嶽海の初優勝は平成30年名古屋場所です。

この場所の横綱は鶴竜、白鵬、稀勢の里、
大関は豪栄道、高安、栃ノ心の
3横綱3大関でした。

平成30年名古屋場所の
横綱・大関の成績は以下の通りです。

平成30年名古屋場所の横綱の成績
鶴竜 3勝3敗3休
白鵬 3勝1敗11休
稀勢の里 全休
平成30年名古屋場所の大関の成績
豪栄道 10勝5敗
高安 9勝6敗
栃ノ心 5勝2敗8休

横綱は全員休場で不在。

栃ノ心は新大関の場所でしたが、
残念ながら怪我で途中休場となります。

数字だけ見ると豪栄道、高安の
成績は悪くないのですが、
両大関とも比較的早い段階で
優勝争いから脱落していたため、

期待は自ずと
当時大関に最も近かった御嶽海に
かかっていました。

誰もが御嶽海に期待していたし、
本人も凄くそのことを自覚していた
様子でした。

優勝を決めたのは
14日目のことだったのですが、
優勝を決めた直後のインタビューで、
御嶽海は自分がやらなければならない
というプレッシャーがあったことを
話していました。

そのプレッシャーに打ち勝って優勝できて、
涙も流していました。

こう言ってはなんですが、
御嶽海ってちょっとチャラそうな
男だと思っていたので、
こんな真面目な一面もあるのかと
感動したのを覚えています(笑)

御嶽海の優勝は
1909(明治42)年6月場所以後、
初となる長野県出身力士の優勝
となります。

また、出羽海部屋の力士として
1980(昭和55)年初場所の
横綱 三重ノ海以来38年ぶりにして
通算50回目の幕内最高優勝
となりました。

御嶽海(2回目)

御嶽海が二度目の優勝を果たしたのは、
初優勝から約2年後の
2019(令和元)年秋場所です。

番付は初優勝の時と同じく関脇でした。

御嶽海が関脇以下で二度目の優勝をした時の
横綱・大関の成績は、以下の通りです。

令和元年秋場所の横綱の成績
鶴竜 4勝4敗7休
白鵬 0勝2敗13休
令和元年秋場所の大関の成績
高安 全休
豪栄道 10勝5敗
栃ノ心 6勝9敗

両横綱と1大関が休場する中、
残った2人の大関をいずれも破っての
優勝でした。

この時は千秋楽に
貴景勝との優勝決定戦を制しての
優勝となります。

この優勝決定戦で、
御嶽海は本割で敗れた相手に
リベンジするのですが、

貴景勝はこの優勝決定戦で
大怪我を負うこととなります。

何とも激しく明暗の分かれた
優勝決定戦でした。

照ノ富士(1回目)

照ノ富士が初優勝を果たしたのは、
御嶽海の初優勝から少し戻った
2015(平成27)年夏場所。

まさに大関に駆け上がっていた時の
優勝でした!

その後の本人曰く
「イケイケだった頃」の優勝ですね(笑)

この頃の照ノ富士は、
「これは今年中に大関になるぞ!」
と思わせるほどの勢いがありました。

そしてこの場所で優勝し、
翌場所には大関昇進を果たします。

照ノ富士が初優勝した
平成27年夏場所の横綱・大関の成績は
以下の通りです。

平成27年夏場所の横綱の成績
白鵬 11勝4敗
日馬富士 11勝4敗
鶴竜 全休
平成27年夏場所の大関の成績
稀勢の里 11勝4敗
琴奨菊 6勝9敗
豪栄道 8勝6敗1休

琴奨菊の大関時代が
既に懐かしいですね(苦笑)

鶴竜以外の横綱・大関は出場していて、
全体に決して悪くはありません。

ただこの場所は、
全てにおいて勝利の女神が
照ノ富士に微笑んだように思えた

場所でした^^

優勝は千秋楽まで白鵬と照ノ富士が争い、
千秋楽の結びの横綱戦で
白鵬が勝てば照ノ富士との決定戦、
日馬富士が勝てば照ノ富士の優勝が決まる、
という展開でした。

で、兄弟子の日馬富士が照ノ富士の
援護射撃をして白鵬を撃破!

照ノ富士の優勝が決まります。

優勝が決まると、
照ノ富士は付け人の駿馬さんと
抱き合って泣いていたと記憶しています。

今思い出しても涙が出ます><

日馬富士が最高にかっこよかったですねvv

で、照ノ富士の優勝パレードの旗手も、
本来は格上の横綱が
務めることはないのですが、
照ノ富士たっての希望で
日馬富士が務めました^^

この頃は横綱日馬富士が現役で、
照ノ富士が大関に駆け上がり、
幕内には宝富士と安美錦と誉富士がいて、
とにかく伊勢ヶ濱部屋に勢いがありました。

照ノ富士(2回目)

照ノ富士が二度目の優勝を果たしたのは、
この記事からつい先だって、
2020(令和2)年七月場所のことです。

※なにぶん直近の出来事なので、
熱が入って字数多めになります(苦笑)

本来7月は名古屋で行われるので、
七月場所は名古屋場所と呼ばれるのですが、
この年は新型コロナウィルスの影響で
名古屋への移動を自粛し、
東京両国国技館での開催となったため、
「七月場所」と呼んでいます。

二度目の優勝は
初優勝の時とは大きく違います。

初優勝は大関に駆け上がっていた頃
(本人曰く「イケイケだった頃」)の
優勝でしたが、

二度目の優勝は、
大関から序二段まで陥落し、
再び幕内に復帰した場所での優勝でした!

この場所の横綱・大関の成績は、
以下の通りです。

令和2年七月場所の横綱の成績
白鵬 10勝3敗2休
鶴竜 2敗13休
令和2年七月場所の大関の成績
貴景勝 8勝4敗3休
朝乃山 12勝3敗

初優勝の時とはメンツが大きく変わり、
大関は2人とも照ノ富士の後輩です!

この場所は朝乃山の新大関の場所で、
優勝候補の本命は白鵬と朝乃山でした。

そんな中、
元大関の照ノ富士が幕尻で
ずーっと白鵬と朝乃山と並走。

優勝候補ではあったけれど、
どちらかというとダークホースな扱いでした。

でも、ずーっと強かった白鵬が
12日目の御嶽海戦で負傷し、休場するという
思わぬ展開に見舞われます。

白鵬が休場したことで
照ノ富士への注目度が一気に上昇。

13日目には照ノ富士と朝乃山の
直接対決が組まれ、
照ノ富士が見事に朝乃山を撃破!

正攻法の右四つの相撲で
右四つの大関朝乃山を破り、
実力差を見せつけるような相撲となりました。

この相撲で、
白鵬と朝乃山の対戦が見られなくなって
落ち込んでいた私は、
一気に元気を取り戻します(笑)

同様に感じた相撲ファンも、
きっとたくさんいたことでしょう。

このあたりから、
流れが照ノ富士に向いているのを
感じます。

この場所も優勝争いは千秋楽までもつれ、
照ノ富士、朝乃山、正代、御嶽海に
優勝の可能性がありましたが、

照ノ富士が本割で御嶽海に勝ったことで、
決定戦にはならず、
その場で優勝を決めました。

この優勝により、照ノ富士は
1976(昭和51)年の魁傑以来、
二度目の元大関の平幕優勝
を果たします。

また2020年初場所の徳勝龍以来の幕尻優勝
果たします。

また30場所ぶりの優勝となり、
優勝と優勝の間隔の記録が
琴錦に次いで歴代2位
となりました。

<優勝と優勝の間隔>
1位 琴錦 43
2位 照ノ富士 30
3位 三重ノ海 24
4位 琴櫻 22
5位 千代大海 21

※2020年七月場所現在

そんなわけで、
数々の記録も残した
照ノ富士の二度目の優勝ですが、

個人的には、インタビューでの

「師匠を信じて、
(やめずに)続けて良かった」

という言葉が印象的でした。

大怪我をして
大関から序二段まで陥落して
再び戻ってくるという苦労をした
照ノ富士の言葉ゆえに、
非常に重みを感じました。

そういえば照ノ富士二度目の優勝では、
照強が朝乃山を破って
照ノ富士の援護射撃をする、
という場面もあったんですよね!

照ノ富士の優勝には、
いつも伊勢ヶ濱部屋のドラマが
あるんですね^^

ちなみに照ノ富士初優勝の時は、
伊勢ヶ濱部屋には幕内に
日馬富士、安美錦、宝富士、誉富士
がいましたが、

二度目の優勝の時には
幕内に宝富士と照強、
十両に翠富士がいて、
翌場所には錦富士の新十両が
決まっています。

ふと、伊勢ヶ濱部屋の勢いは
照ノ富士の元気に左右されるのかと
想像してしまいました(笑)

照ノ富士(3回目)

照ノ富士3回目の優勝は、
大関再昇進をかけた令和3年春場所。
成績は12勝3敗でした。

優勝し、晴れて大関再昇進を果たします

魁傑以来の陥落場所直後に二桁白星でない
大関復帰。

そして史上初の、
序二段に番付を落としての
大関復帰
となりました!

この場所の照ノ富士は、
あとから聞いたところ
相当膝が悪かったようです。

引っ張りこんでの投げなど、
強引に見える相撲が多く、
また膝を悪くしそうで心配になる
相撲が多くありました><

5日目という割と早い段階で阿武咲に敗れ、
天敵の高安にも敗れ、
まさかの志摩ノ海にも敗れるという出来事も
ありましたが、

終盤の上位戦での集中力は
見事なものでした!

この場所は高安が10日目までは
メチャメチャ強くて、
後続に星2つの差をつけての
単独トップでした!

これは高安が優勝するんじゃないか
思っていたのですが、
13日目からまさかの3連敗で
終わってみたらまさかの10勝5敗。

兄弟子稀勢の里の悪夢再び
という思いがして悲しくなりましたが、
照ノ富士の優勝と大関復帰は
とても嬉しいです^^

この場所の横綱・大関の成績は、
以下の通りです。

令和3年春場所の横綱の成績
白鵬 2勝1敗12休
鶴竜 全休(11日目に引退)
令和2年七月場所の大関の成績
正代 7勝8敗
朝乃山 10勝5敗
貴景勝 10勝5敗

両横綱はともに注意勧告を受けていて、
進退を懸ける場所でした。

白鵬は進退を懸けて初日から出場したものの
膝の古傷を悪化させて3日目から休場。

夏場所の出場は絶望的だから
名古屋場所に進退を懸けるとのこと。

鶴竜は場所直前に怪我をして初日から全休。

休場発表当初は現役続行の意思を示して
いましたが、心境の変化があったのか、
場所の途中で引退を発表しています。

3大関は、ふつうに出場して千秋楽に
負け越した正代以外は、
まあまあの成績でした。

正代は場所前に
師匠の時津風親方(元時津海)が
不祥事の責任を取って
師匠が変わるという出来事があったため、
その影響もあったかもしれません。

3人とも本当はもっと強いのになぁ、
という物足りなさは感じますが、
まあ、大関の成績とはだいたいこれくらいが
相場なんじゃないかとも思います。

関脇以下の力士が優勝した場所の大関って、
だいたい一人くらいはふつうに
負け越してますもんね(;^_^A

関脇以下で2度目の優勝に挑んだ力士

2018(平成30)年夏場所には、
栃ノ心が二度目の関脇以下での
優勝なるか!?
という状況になりました。

もし栃ノ心がこの場所優勝すれば、
戦後6人目の
関脇以下で二度目の優勝をはたした力士
となったのですが、残念ながら
優勝することは出来ませんでした。

この場所優勝したのは
横綱 鶴竜です。

戦後関脇以下で2度の優勝をはたした
6人目の力士は、御嶽海です。

優勝こそ叶わなかったものの、
栃ノ心はこの場所で大関昇進を決め、
4番目に年長の大関となります。

記録を追って気付いたこと

以上、
関脇以下で2度優勝した力士の記録を
ご紹介いたしました。

あわせてそれぞれの優勝したときの状況も
調べてみたのですが、
いかがでしたでしょうか?

調べていて思ったのですが、
関脇以下の力士が優勝する時って、
やはり世代交代の時期が多い
んだなと
思いました。

同時に、

「昔の横綱大関は強かったのに、
今の横綱大関はダメだなぁ」

と言う人がいるけど、
昔も今も変わらんやんと思います。

少なくとも成績に関しては、
横綱だろうが大関だろうが
平凡な成績の時もあれば
負け越すこともあります。

それは昔も今も変わりません。

あまり昔を美化するのも
美しくないなと思います。

少なくともファンである私たちは、

みんなそれぞれに頑張っていることを理解し、

あたたかい気持ちで応援したいですね。

以上、ペパーミントあいが
お届けいたしました。

情報参照元:大相撲星取表&Wikiペディア&NHK