横綱不在場所と空位期間と完全不在時代の記録

横綱不在場所と空位期間と完全不在期間の記録アイキャッチ 大相撲の記録

相撲と紅茶とゲームが大好きな
ペパーミントあいです。

一場所15日制になって以降の
横綱不在場所の記録一覧を作成しました。

調べている時に
番付に横綱が空位だった期間
引退した元横綱も生存していなかった時代
あると分かったので、
あわせてご紹介しています。

この記事が
あなたが大相撲尾観戦を楽しむ一助となれば
嬉しく思います^^

横綱不在場所の記録

※1場所15日制になって以降の記録です。
※横綱空位期間は除きます。

1950(昭和25)年春場所 5~6日目
羽黒山 5日目不戦敗、11日目途中出場
東冨士 3日目不戦敗、7日目途中出場
照國 4日目不戦敗

※出羽錦(前頭1)は羽黒山、東冨士から不戦勝

1968(昭和43)年夏場所 中日~
柏戸 中日不戦敗
大鵬 全休
1970(昭和45)年初場所
千代の富士 全休
北の湖 全休
1986(昭和61)年春場所 3日目~
千代の富士 3日目不戦敗
1991(平成3)年秋場所 6日目~
北勝海 全休
旭富士 6日目不戦敗
1991(平成3)年九州場所 中日~
旭富士 全休
北勝海 中日不戦敗
1992(平成4)年初場所 4日目~
北勝海 全休
旭富士 4日目不戦敗~引退
1992(平成4)年春場所 3日目~
北勝海 3日目不戦敗
1992(平成4)年夏場所
北勝海 場所直前に引退

※以後、1993(平成5)年初場所に曙が横綱になるまで、
横綱空位期間が5場所(番付上は4場所)続く

1994(平成6)年夏場所 12日目~
12日目不戦敗
1994(平成6)年名古屋場所
全休
1994(平成6)年秋場所
全休
1999(平成11)年春場所 11日目~
若乃花(3代目) 10日目不戦敗
貴乃花 11日目不戦敗
全休
2002(平成14)年初場所 4日目~
武蔵丸 6日目不戦敗
貴乃花 全休
2002(平成14)年九州場所 6日目~
武蔵丸 6日目不戦敗
貴乃花 全休
2003(平成15)年初場所 3~4日目、9日目~
武蔵丸 全休
貴乃花 3日目不戦敗、5日目途中出場、9日目不戦敗→引退
2003(平成15)年名古屋場所 10日目~
朝青龍 10日目不戦敗
武蔵丸 6日目不戦敗
2006(平成18)年夏場所 3日目~
朝青龍 3日目不戦敗
2018(平成30)年名古屋場所 6日目~
鶴竜 6日目不戦敗
白鵬 4日目不戦敗
稀勢の里 全休
2018(平成30)年九州場所 5日目~
白鵬 全休
鶴竜 全休
稀勢の里 5日目不戦敗
2019(平成31)年初場所 13日目~
稀勢の里 4日目不戦敗→引退
白鵬 13日目不戦敗
鶴竜 6日目不戦敗
2019(令和元)年秋場所
白鵬 4日目不戦敗
鶴竜 2日目不戦敗
2020(令和2)年初場所 5日目~
白鵬 4日目不戦敗
鶴竜 5日目不戦敗
2020(令和2)年七月場所 5日目~
白鵬 4日目不戦敗
鶴竜 5日目不戦敗
2020(令和2)年秋場所
白鵬 全休
鶴竜 全休
2020(令和2)年11月場所
白鵬 全休
鶴竜 全休
2021(令和3)年初場所
白鵬 全休
(新型コロナウィルス感染のため)
鶴竜 全休(腰椎すべり症のため)
2021(令和3)年春場所
白鵬 3日目不戦敗
鶴竜 全休
2021(令和3)年夏場所
白鵬 全休

私が横綱の休場記録をまとめようと思った理由

私が当初この記録をまとめようと思ったのは、
横審のおじいさん方が、
休場の多い白鵬、鶴竜の両横綱を悪く言うことが
気に入らないと思ったから
でした。

いや過去にもたくさん休場した横綱いるだろ、
国籍だけで差別して大袈裟に視点じゃねえよと
思ったからでした。

事実、7場所連続で休場した稀勢の里(現荒磯親方)
に対しては大甘だったことも、
そう思った理由の一つでした。

実際に横綱の休場記録をまとめて、
おじいさん方が間違っていることを
証明してやろうという気持ちでいました。

が、いざ調べてみたら、
記録をまとめた令和2(2020)年10月当時の
鶴竜、白鵬の休場の多さは、
過去の横綱に類を見ない頻度であったことが
判明してしまいましたm(_ _)m

おじいさん方には思うところはあるものの、
この件に関してだけは申し訳ないと
恥いるばかりの思いでした。。。

白鵬、鶴竜の休場が過去に類を見ない頻度で多かった理由

白鵬、鶴竜の休場が
過去に類を見ない頻度で多かった理由は、
私見ですが、
まず第一に日馬富士の引退があると思っています。

日馬富士が最後に優勝したのは
平成29(2017)年秋場所。

あとで聞いた話によると、
肘を傷めていて、
痛みを堪えての優勝だったそうです。

本人は休場したがっていたけれど、
師匠に説得されて強行出場していたとのこと。

師匠に説得されたのは、
他の横綱が先に休場してしまったから
責任を果たせ、ということだったようで。。。

いい、悪いは別にして、
そういう横綱が居なくなってしまったから
横綱不在が増えたのかな、と思いました。

そして考えられる理由の第二は、
世代交代が上手くいっていないことです。

2011年前後には、
暴力事件だったり八百長問題だったりで
角界が相当揺れて、
入門者が激減しましたからねぇ。。。

ベテランの横綱を頼りにせざるを得ない
状況になってしまったのかな、と思います。

指導者としての白鵬と、照ノ富士に期待

でも、そのベテラン横綱の最後であった白鵬も
とうとう引退。

新横綱の照ノ富士に後を託しての引退です。

やっと安心して引退出来て良かったと
心から思います。

照ノ富士は膝に古傷を抱えているので、
あまり長く相撲は取れないだろうと
話していました。

ゆえに、照ノ富士と他の上位力士との差が
現状ありすぎることは気がかりではあります。

でも新横綱の場所の照ノ富士の相撲を見ていると
受けて立って対戦相手の良さを引き出した上で
勝つ、という横綱相撲が多く見られました。

なのできっと、
周りも強くしてくれるだろうと期待しています!

白鵬も晴れて指導者になってくれたことだし、
きっと後進の育成はますます進むことと思います。

今は照ノ富士の活躍と、
指導者としての白鵬、間垣親方の活躍が
楽しみでなりません!

横綱空位期間

長い大相撲の歴史には、
番付上に横綱が空位だった期間
もあります。

横綱が番付になって以降、
横綱空位期間は以下の2回のみです。

①1931(昭和6)年5月場所
宮城山引退~
1932(昭和7)年10月場所
玉錦が横綱に昇進までの6場所

②1992(平成4)年夏場所
(番付上は名古屋場所)
北勝海が夏場所直前に引退~
1993(平成5)年初場所
曙が横綱に昇進までの5場所

(番付上は4場所)

横綱完全不在時代

引退した元横綱も含め
横綱がこの世に一人も
生存していなかった時代、

横綱完全不在時代は、
事実上初代横綱の谷風、小野川の
同時免許以降、

1806年4月に小野川没~
1823年3月に阿武松の免許授与
までの22年間

1回のみとなります。

谷風が4代横綱、
小野川が5代横綱、
阿武松は6代横綱なので、

谷風と小野川を横綱にして以降、
22年間は横綱文化が
あまり定着しなかったとも
考えられますね。

谷風と小野川にしめ縄をつけて
土俵入りさせたら大ウケしたので、

その後も次々に横綱を誕生させて
相撲興行を盛り上げていた、

というイメージがありましたが……

記録をまとめてみて

以上、横綱不在場所の記録と空位期間、
横綱完全不在時代の記録を
ご紹介させていただきました。

元々は横綱不在場所の記録を
一覧表にしてまとめたいと思って
調べ始めたのですが、

調べていくうちに
横綱空位期間が過去2回あったことや、
引退した横綱も生存していない時代も
あったことが分かったので、

あわせてシェアさせていただきました。

途中でちょいちょい挟まっている雑文は、
この人はこう思ってるんだなぁ、
程度に読み流して下さい(笑)

この記事が大相撲を楽しむ一助となれば
嬉しく思います^^

ペパーミントあいがお届けいたしました。